田無神社の文化財
それまで賀陽玄雪邸(現J:COMコール田無)で集会や結婚式の披露宴が行われていましたが、昭和10年に参集殿が完成することにより、その役目を譲ることになります。参集殿の設計は内務省関連の建築家、施工は八王子の宮大工であり、総工費で約2千円であったとされます。参集殿は木造の平屋建で、瓦葺の建築面積約120m2(約37坪)の建物です。近代和風建築で、式台構えに続き、取次の間と、三間続きの座敷があり、天井には神代杉が用いられています。式台とは、玄関の上り口に設けられている板敷のことを指します。取次の間とは、接客のために玄関に設けられた畳の空間を指します。
床の間の落とし掛けは、端部を両側の柱より外側に延ばし、その上部の蟻壁長押と共に鳥居のように見せています。落とし掛けとは、床の間の垂れ壁の下端を納めるために取り付ける横木を指します。蟻壁とは、天井付近の丈の低い塗りこめた壁を指します。蟻壁天井とは 蟻壁の下にある長押のことを指します。長押とは、柱と柱を水平方向につなぐ化粧材のことを指します。
参集殿が建てられた昭和10年頃には、近在に披露宴をあげる場所がなく、多くの人々は自宅で披露宴を行っていました。地域の人々が神社で結婚式、披露宴を行えるようになったことは、当時にしては画期的なことでした。4代宮司賀陽賢治によると、参集殿の建築資材は、内務省関連の建築家から、昭和11年に建設予定となっていた旧「北白川官邸」使用の端材を授かったと伝わります。