田無神社

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ご由緒

 田無神社の創立は正応年間(建長年間説もありますが、いずれも鎌倉期、十三世紀)です。谷戸(註1)の宮山に鎮座し、尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)と呼ばれていました。ご祭神は龍神様です。
 時代は下り、徳川家康が江戸幕府を開くにあたり、城、町建造のために大量の石灰(壁の材料)を必要としました。家康はそれを青梅の地に求め、青梅街道を開きました。その際に、肥沃な谷戸に住んでいた人々は、こぞって1kmほど南の青梅街道沿いに移住し、宿場町・田無を造営したのです。
 この様な歴史の中で、人々は宮山に鎮座する尉殿大権現を、まず元和八年(1622年)に上保谷に分祀(註2)し、正保三年(1646年)に宮山から田無(現在の地)に分祀し、寛文十年(1670年)には、宮山に残っていた尉殿大権現の本宮そのものを田無に遷座(註3)しました。
 さらに、尉殿大権現は明治五年(1872年)に熊野神社、八幡神社を合祀し、田無神社と社名を改めました。その際に、主祭神・大国主命と須佐之男命(すさのおのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、八街比古命(やちまたひこのみこと)、八街比売命(やちまたひめのみこと)、日本武尊命(やまとたけるのみこと)、大鳥大神(おおとりのおおかみ)、応神天皇(おうじんてんのう)をお祀りして、現在に至っています。

註1 谷戸とは田無北部の水の豊かな地域の地名
註2 分祀とは神社の祭神を別の地にお分けしてお祀りすること
註3 遷座とは祭神をそっくり別の地に移してお祀りすること

『Origins』

The origins of Tanashi Jinja*, dedicated to sacred golden dragons, Okuninushi-no-mikoto and all the other indigenous gods of Japan, are unclear, but there are records dating back to the late 13th century(Kamakura period) that trace ties to a local guardian shrine called the Jodono-gongensha. This shrine was formerly located on Miyayama in the Yato district which was in those days the focal point of the Tanashi region.
With the establishment of the Tokugawa government marking the beginning of Edo period(1603-1867), and the transport of lime, use in the building of castle and town walls, from the Ome district, local activity shifted to the Ome-Kaido highway and Tanashi grew into a bustling post-station town. The Jodono-gongensha was moved to its present location in Tanashi in 1670.
In 1858, the Tanashi village head, Shimoda Hanbe Tomiie, invited the great Edo-period sculptor Shimamura Shunpyo to rebuild the shine’s honden. The shrine name was changed to Tanashi Jinja in 1872. *Jinja is Japanese term for shrine.

ご祭神

田無神社の主祭神は大国主命です。また、金龍神として顕現されている尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)(級津彦命 しなつひこのみこと・級戸辺命 しなとべのみこと)は、すべての命の源である水と、よろずの災を祓う神を司る豊饒と除災の守護神です。また田無神社には、須佐之男命、猿田彦命、八街比古命、八街比売命、日本武尊命、大鳥大神、応神天皇がお祀りされております。

田無神社・本殿

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 田無神社と宿場町
 宮山について
 震災と復興
 防犯対策について

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