古くより元日は、新しい年を迎える最初の日であり、数え年では誕生日に関わらず元日に皆が一斉に一歳年を重ねます。
歳旦祭は新しい年を迎えたことを神様に感謝し、言祝ぐ一年の最初の神事です。
どうぞ初詣にお越しになり神様に感謝しご祈念ください。
成人の日に前後して新成人の皆様が、無事に20歳を迎え、大人の仲間入りをしたことを氏神様に感謝し、ご報告いたします。
大人になった自覚を持ち、責任ある行動をすることを神様にお誓い申し上げ、社会の一員として世のため人のために立派に活躍できますようご祈念いたします。
節分とは季節の節目である立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを指します。旧暦では春から新年が始まるため立春の前日の節分が特に大事にされてきました。また、こうした節目にあたっては様々な邪気や災い事が起こりやすいとされ、それを祓うために豆まきが行われてきました。豆まきの風習は中国から奈良時代に伝わった追儺という行事までさかのぼる古いものです。
田無神社では多数の出店で賑わう境内で盛大な豆まきをいたしております。
是非ご参加ください。
「としごいのまつり」と呼ばれる重要な祭事です。
古代においては収穫を持って一年とする風習があったため「年」とは穀物の実りの事であり「祈年祭」は五穀豊穣を祈願するお祭りであり、秋に収穫した穀物を神前にお供えして感謝をささげる「新嘗祭」と対をなしております。
二月最初の午の日に斎行されます。稲荷社の総本社である伏見稲荷大社の祭神である宇迦之御魂が稲荷山に降り立ったのが和同4年(711)2月11日とされ、この日が初午の日あったため全国の稲荷神社でこのお祭りが斎行されるようになりました。
田無神社の境内の初野分稲荷神社(やぶそめいなり)のお祭りは室町時代から続く歴のあるお祭りです。
農作物の豊穣と商売繁盛を祈念します。
※現在予定されている行事はございません。
遠い昔、5月のある日に田無の町に農作物に甚大な被害を与える程の大粒の雹が降り注ぎました。雹は農家の方々の脅威となり、雹への畏怖と天災の恐れから農家の方々が中心となり田無神社において雹祭りが斎行されるようになりました。その後、祈年祭と合わさり、豊作への祈りと感謝を捧げながら、五穀豊穣春祭・雹祭として受け継がれてまいりました。諸産業が様々に発展している現在においては、あらゆる産業の発展と国力の充実についても祈願しています。
こいのぼりは、江戸時代の武家で始まった男の子の出世と健康を願う風習です。
田無神社では毎年4月中旬頃より、田無神社境内に地上高15メートルの檜(ヒノキ)作りの竿で、5匹の鯉が天空に向かって舞い上がり春の爽やかな薫風にたなびきます。綺麗で大きな鯉のぼりをお子様やお孫様を連れてご覧下さい。
塩窯神社、煩大人神社、大鵬土俵(国常立命)の三社のお祭りです。
土俵の前に祭壇を作り、神職が三社の神様にご奉仕いたします。
半年に一度の罪穢れを祓うお祭りです。
神職が先導し、ご参列の皆様と共に茅の輪くぐりの神事を行います。
また、皆様からお預かりした人形(ひとかた)を忌火でお焚き上げし、お浄めいたします。
令和元年6月16日に龍神池の一部分を田んぼとして、初めて御田植祭が斎行されました。
地元の子供達と共に五穀豊穣を祈念いたしました。
秋に収穫された稲を10月の例祭日に神様に御奉納します。
6月中旬より7月初旬まで、水神宮左手からおみくじ処まで龍神池に沿うように七夕てるてるトンネルをお出しします。
てるてる坊主についているに願い事をお書きいただき、トンネルに吊るしてください。
国の登録有形文化財である田無神社参集殿で行われる茶会です。
どなた様でもご参加いただけ。作法を御存じなくても安心してお楽しみいただけます。
是非、日本文化の結晶ともいわれる総合芸術である茶道を体験してください。
市内柳沢地区に鎮座する津嶋神社の例大祭です。
柳沢津島神社より発輿したお神輿が途中、田無神社境内の津嶋神社までやってきます。
その後、津島神社のご神前で神職により祭儀が行われます。
日露戦役記念碑の前で終戦記念日に斎行されます。
一般参列者の参加のもとに、英霊に追悼の誠をささげ、感謝を報告いたします。どなた様でもご参列いただいて玉串拝礼が可能です。予約は必要ありません。玉串料、お供物料も必要ございません。
お雛様や兜飾りを始め、お人形やぬいぐるみは長年大切にされ愛着が湧くものです。
そうした捨てがたいお人形やぬいぐるみをお預かりし、感謝の気持ちを込めてお祓いいたします。
また、お預かりしたお人形等は神社でお引き取りし、焼納あるいは埋納いたします。
毎年9月19日に斎行される旧例祭日の祭典です。
本殿(金龍神)及び龍神四社の神前に供物を奉り、厳粛に斎行されます。
毎年9月中旬に斎行される、西東京市新町に鎮座する兼務社・阿波洲神社の例大祭です。
阿波洲神社は、宝暦2年(1752)に、紀伊国の粟島明神のご分霊を勧請し、創建されました。当時、この地域に武蔵野の原野を開拓するために、上保谷村の人々が移り住みました。しかし、農耕に適した土地ではなく、苦労を強いられたことから、鎮守さまとして阿波洲神社を創建したとされます。御祭神は少彦名命、高望王です。
例大祭は各地の神社で斎行される多くの祭典のうち一年に一度の最も重要なものです。
田無神社例大祭は、西東京の歴史、文化、住む人の魂を担う神事です。
前日に斎行される宵宮祭では万燈神輿、女神輿が渡御し、例大祭では本社神輿が渡御いたします。
また、御田植祭で植えた稲を収穫しご神前にお供えいたします。
毎年10月1日に斎行される、西東京市住吉町に鎮座する兼務社・尉殿神社の例大祭です。
尉殿神社は田無神社の元宮である谷戸の宮山から元和8年(1622)に分祀された神社です。
田無神社が男神、尉殿神社が女神であるという民間伝承は古くから残っていますが定かではありません。
御祭神は級長戸辺命、大日霊貴命(天照大神)です。
毎年10月中旬に斎行される、西東京市北町に鎮座する兼務社・天神社の例大祭です。
天神社は天正年間(1573-1591)に三十番神として創建されました。
明治維新の神仏分離令により、菅原道真公を祀る天神社と改称しました。
男子五歳、女子三歳、七歳の節目を祝うお目出度い祭儀です。七五三の年齢まで無事に成長したことを神様に感謝し、更なる健康な成育を御祈願いたします。
田無神社では毎年、撮影スポットとして巨大絵馬を設置しております。
田無神社本殿には明治五年に大鳥神社の日本武尊・大鳥大神を合祀しております。酉の市は日本武尊に因む行事です。亡くなられたのち、能褒野の御陵に葬られますが、白鳥となって大和を目指して飛び立ったとの伝承から大鳥大神としてお祀りされています。その縁起により十一月の酉の日に市が立ちます。田無神社では境内に熊手屋さんや多くの出店が出店し、舞殿では様々な大物が奉納されとても賑わいます。また社務所でも熊手などを頒布していますので、どうぞご参拝下さい。
新たに収穫された作物を神前にお供えし、感謝をささげる重要な祭典です。
もとは宮中の儀式の一つで,11月23日に天皇が新穀を天神地祇に供え,天皇みずからが食す旧祝祭日の一つでありました。
2月に斎行された祈年祭と対をなします。
11月の酉の日に午後6時から8時まで本殿・拝殿の特別拝観を行います。田無神社本殿は東京都指定有形文化財に選定されております。
江戸後期の安政五年(1858)に江戸より名工・島村俊表を招いて本殿を作りました。島村俊表は江戸随一の名工であり多くの傑作を残しましたが、その中でも田無神社本殿は俊表の神髄を極めた最高傑作と言っても過言ではありません。一般の方が直接本殿を拝観できるのは1年でこの時だけです。是非足をお運び頂きまして江戸の彫刻の粋をご覧下さい。神職が彫刻等の解説やこのたびの震災による被害の説明を致し、その後境内各所をご案内致します。
また、田無神社拝殿・本殿は平成30年に東京都より「特に景観上重要な歴史的建築物等」に選定されました。
田無神社のご神木は天保13年(1842)から嘉永3年(1850)に植樹されたと伝わる樹齢170年程の銀杏の木で市の天然記念物に指定されております。11月中旬頃になると見事な紅葉を見せてくれます。
是非ご覧になって下さい。
半年に一度の罪穢れを祓うお祭りです。
一年の終わりに身を清め、清々しい気持ちで新年を迎えることが出来ます。
どなた様でもご参列いただけますので、ぜひお越しください。
一年の終わりに斎行される最後のお祭りです。
田無神社では保谷和太鼓の皆様の演奏によるカウントダウンで新年を迎え、皆様とご一緒に三本締めをいたします。拝殿では一番祈祷を行い、田無囃子の演奏と共にいよいよ新しい年が始まります。