田無神社で七五三プラン

田無神社

田無神社で七五三プラン 田無神社で七五三プラン
メインビジュアル
ホーム > 開かれた神社 > 「敵国降伏臨時大祭執行の札」発見

開かれた神社


2022年 1月 18日(火)

■ 「敵国降伏臨時大祭執行の札」発見

〜敵国降伏臨時大祭執行の札発見〜

 

この度、宮司家倉庫から、敵国降伏臨時大祭執行の札が発見されました。

これは、日露戦争宣戦布告(明治37年2月10日)の5日後の明治37年2月15日から3日間、「敵国降伏臨時大祭」を行う旨を当時の氏子一同に通知する標札です。

 

118年もの時を経ており、当時の人々が大国ロシアとの戦争に当たってご祭神の加護を祈った、その歴史の重みを感じることができます。

 

写真の背景に写る「日露戦没記念碑」は、日露戦争での戦勝を記念し、明治40年に教育者である刑部真琴によって建立されました。文字は日露戦争の際に元帥陸軍大将として満州軍総司令官を務めた大山巌による揮毫です。日露戦争では田無村から71人が出征し、3人が戦死、68人が凱旋帰国しました。71人の出征者のうち、70人が陸軍、1人だけが海軍です。この碑の裏には出征者の氏名が、田無小学校の初代校長・刑部真琴の発案によって彫られ、その消息を今日に伝えています。刑部真琴は田無神社兼務社の阿波洲神社拝殿に掲げられている、凱旋記念扁額にも保谷出身従軍軍人の名を刻みました。

戦利品として持ち帰った砲弾は、信管は外され、日露戦争戦没者記念碑前に納められています。

 

 

 

オススメコンテンツ

トップへ戻る