楠木正成公像

楠木正成公は元弘の乱(1331~1333)に際し、後醍醐天皇を奉じ鎌倉幕府打倒に貢献し、その後、南北朝時代(1336~1392)には南朝方の中心として活躍した名将です。明治時代以降、特に尊崇され「大楠公」と称せられました。
その子孫が、田無神社の分社である尉殿神社の近辺に移住し、同社を守護したとの言い伝えから、何時しか石像が祀られるようになりました。
石像に欠損が多くみられるのは、地元の若者たちが石像の一部を砕き、それを御守として出征していったからであると言われています。

楠木正成公像