賀陽家屋敷稲荷神社

備前岡山藩の藩医だった賀陽玄節(玄雪、1790~1854)は諸国を医術修業のため巡っている途中、文政6年(1823)に田無村を訪れました。村の名主である下田半兵衛富永の説得により田無の村医となりました。その子賀陽濟(1821-1895)も安井息軒やシーボルトなどから学び、医学を修めました。後に賀陽濟は、田無神社初代宮司としてこの場所に屋敷を築きました。

賀陽家屋敷稲荷神社